2017年06月11日

やさしく大きな人




昇降口で靴を履き替え、玄関ロビーに立ったところで気が付いた。いつの間にか雨が降り出している。
朝はカラッと晴れていて、雲一つない青空が広がっていたというのに、今は薄暗くキラキラの糸がいくつも天地をつないでいる。
「あちゃぁ 降ってきやがった。トオル、傘入れて」
私のすぐそばで同じクラスの山内たちが騒いでいる。あっちも部活が終わって、今帰りなのだろう。
チラリとそちらに視線をやって、吉井くんが今まさに傘を開こうとしているのを確認した。
――そうよね、朝の天気予報では午後から雨の予報がでていたんだもの。
予想してたから、全然ショックじゃなかった。
そもそも仮に吉井くんが傘を忘れてたとしても、私の傘に入れてなんて言ってくるはずもないしね。
自分でもバカみたいって思うような妄想を苦笑しながら引っ込めつつ、カバンの底に忍ばせていた折り畳みを開いた。


「おっ、ちょうどいいところに小野がいるじゃん。小野ちゃん、コンビニまで入れて」
校舎の外へ足を踏み出そうとした私の隣へ強引に入ってきたデカい人は同じクラスの東くん。
戸惑って返事できずにいるうちに、私の手から折り畳みを奪って二人の間に差す。
「えへへへ。相合傘だね」
「ちょっ、ヘンなこと言うのやめてよ。コンビニまでだからね」
チラリと背後に視線を向けたら、吉井くんの傘の下に男子たちが三人肩を寄せ合っていた。
「さすがに、四人は無理っしょ」
私の視線に気が付いたのか、東くんは肩をすくめている。
「そうね」
「コンビニついたら、俺らビニール傘買うからさ」
「うん。わかった」
いつもの大股な歩調ではなく、私の小さな歩幅に合わせるように隣を歩いてく。
教室でもときどき感じるけど、きっと優しくて気の回る人なんだろうな。このユキが夢中になってる人って。
あらためて、そのいかつくて武骨な顔立ちを眺め、そっと微笑んだ。


校門を出て、大通りへ向かって右へ歩いていくと、交差点の角にコンビニがある。
私たち五人は二本の傘を差しながらコンビニの駐車場を横切った。
――ピンポーン
エコーを残しながら入店のチャイムが鳴る。間髪入れず『いらっしゃいませ』
行き帰りにうちの生徒たちが大勢立ち寄るコンビニエンスストア。アルバイトしているのも、うちの生徒なのだろう。校舎の中で何度も見かけたことがある気がするし。
「よっ、倉本」
「ああ、東か。いらっしゃ、い?」
「こいつ、三組の倉本。俺のダチな」
「えっと、もしかして、その子がこないだ言ってた気になるって子か?」
「えっ?」
私のとなりで虚をつかれたような顔をしていた東くん、急激に顔を赤く染めた。
「違う違う。この子はただのクラスメイト。あれは別の子だ」
「ああ、なんだそうか。一緒に入ってきたからカノジョかと思ったぜ」
「ちげぇよ。あの子にはまだコクってもねぇ 急に雨降ってきたから、この子はここまで傘に入れてくれてただけだ」
そうして、ごめんねと小さくささやいてから離れていった。


コンビニに来てもすることがないので、雑誌コーナーでファッション誌をチェック。その間に、東くんたちはそれぞれにビニール傘を手に取ったり、冷凍庫のアイスを物色したりしてた。
雑誌の陰からそれとなく眺めていたら、吉井くんはそんな東くんたちをニコニコ眺めながら、コーヒーを買って隅で飲んでいる。
うん、暖かい人柄がにじみ出ているっていうか、大人って感じ。他のガサツな男子たちとは一味も二味も違う存在感を醸し出している。目が離せない。でも、これ以上見つめてたら、ヘンに思われちゃうかもしれない。
そっと諦めの息を吐き出しながら、開いているページに視線を戻しかけたのだけど、どういうわけか、さっきまで冷凍庫の中を覗いていたはずの東くんと目が合ってしまった。
なぜか目元を綻ばせていた。


「小野ちゃん、そろそろ帰ろうぜ」
東くんがコンビニの入口で私の方に大声をかけてくれる。
男子たちにまじって下校する。なんで私がそんな恥ずかしいことしなきゃいけないのって返事をためらっていたら、大きなガタイを私のところまで運んできて、無理やり私の手首を引っ張ってくるわけで。
「ちょっと、痛いわよ」
「あっ、わりぃ。けど、一緒に帰ろうぜ」
――はぁ〜 もう、強引なんだから。いいわ。そんなに言うなら、一緒に帰ってあげるわ。今回だけ特別よ。
心の中でそうつぶやいてみるのだけど、それでもやっぱりあの吉井くんと一緒に並んで帰れるチャンスだって思ったら、浮き立つような気分を感じないわけもなく。
――仕方ないわね。まったく。
入るときに突っ込んでおいた傘立てに手を伸ばして私の折り畳みを探そうとしたら。
――あれ? ない。
傘立てには一本も傘が残っていなかった。
だれか持って行っちゃったのかしら? でも、私たちが入店してから、だれもお客さんたちは来なかったはず。なのに、なんで?
それに、今、東くんが握っているのって・・・・・・
「行こうぜ。トオル、今度は小野ちゃん入れたってよ」
私たちの返事も聞かずにさっさと背をむけて大股に歩み出す大きな体の人がいた。
女物の小さな折り畳み傘を差して、足元が濡れるのも構わずに鼻歌なんかをハミングしながら先を歩いて行く。
他の男子たちも、私たちに手を振ってから、それぞれに買ったばかりのビニール傘を差して、その後ろをついていく。


「小野さんも、行こう」
すぐそばから優しい声と笑顔が私に向けられていた。そのまぶしいような笑顔を見上げてたら、はにかみながら『ウン』と小さく返事をするしかないわけで。
頬が熱い。吉井くんが近い・・・・・・
小さく小さく口の中でつぶやいていた。
――ありがとう。
だれに、ともなく。


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2017年06月04日

御田植え祭り




紺の単衣に赤い襷をかけ、花飾りのついた菅笠をかぶった五人の早乙女たちが、神社の所有する田んぼの中を中腰のまま後ずさっていく。
にぎやかな笛や太鼓に合わせてのどが自慢の老爺が歌う田植え歌が響き、ピンとまっすぐに張ったひもに沿って、早乙女たちが稲の苗を植えていく。
今日は神社の御田植え祭りだ。


早乙女たちの姿はすでに田んぼの端まで移動してきており、もうすぐ御田植え祭りも終わりを迎える。
このあと、彼女たちは会所の方へ移動して、席が設けられ労われるのだが・・・・・・
「左の子はダメだな。あとでしっかり植え直さないと」
「そうか、結構きれいに植えてるように見えるが?」
「いいや、もっとしっかりと根を深く押し込むようにして植えないと。あれじゃあ、昼には全部浮き上がってしまってるよ」
パシャパシャ写真を撮っている雑誌記者の俺の隣で、今日ここに招いてくれた高校時代の友人だった神代のヤツがブツブツつぶやいているわけだ。
「そういうもんかね」「ああ」
神代も稲作農家だから、そういうのが分かるのだろう。
「じゃあ、その隣の子は? あの子は確か去年も参加してたって言ってた子だから、きれいに植えているんじゃねぇの?」
「ああ、様にはなってる。けど、植えた後、あまりキチンとは周囲の土を押さえていないから、手入れし直さないといけないだろうな」
「なるほどな」
「ついでに言うと、真ん中は、力の入れ具合とか土の始末とか、丁寧にやってるから好感は持てるが、如何せん、周りが見えていないな。植えるのにばかり集中して、列が蛇行してる」
「ああ、たしかに」
「その右の子は、逆に周囲ばかり気にして手元がおろそかになってる。列は綺麗だが、あれじゃあ、ダメだ」
ダメ出しのオンパレード。でも、そういうものなんだろうな。専門家の目から見ると。
「じゃあ、一番右の子は?」
「ああ、あれは完璧。力の入れ具合も稲の並びも申し分ない。完璧だ!」
「えっ? そうなのか?」「ああ。完璧」
俺の眼には一番手元が危なっかしく見えるのだが、列も蛇行しているように見えるし、あれで完璧なのか? よくわからん世界だ。


御田植え祭りが終わり、観衆が散り、田んぼには人の気配が消えた。
残っているのは神代と俺だけ。神代は早速ずぶずぶと田んぼの中へ踏み込んでいく。
神代の予言通りに、左の列の稲は早くもあちこちで浮き上がり始めている。かがんではそれらを深く差し込んでいく。
二つ目の列では根元の土を押さえ直し、真ん中では列のゆがみを直す。そして、四つ目の列で一度すべての稲を抜くと、丁寧に差し込みなおすのだった。
「一番右は何もしなくてもいいのかよ?」
「ああ、大丈夫だ。心配ない」
「・・・・・・」
ところどころ稲が浮き上がっているようにも見えるのだが? 俺の気のせいか?
神代は満足げに見渡すと、ひとつうなずきを残して、田んぼから上がった。
「さて、のこりはこいつで一気だな」
神代は俺の隣で待機していた田植え機を愛おしそうになでるのだった。


機械を使って田植えをしている神代の姿を写真に納めたり、ファインダー越しにあぜ道を飛び回るモンシロチョウを追っかけたりしている間に、田植えの方は順調に終わった。
神代が田植え機を田んぼから引き上げている。
うん、整然と苗が並んだ田んぼの風景、うつくしい。遠くの山々や空の雲が水面に映え、やさしく暖かい六月の風とも相まって、のどかな雰囲気を醸し出している。
「どうよ。いいだろう」
「ああ、綺麗だ」
「だろ」
けど、全体が下手に整然と並んでいるだけに、かえって五列目の残念さが際立ってしまうのだが・・・・・・
本当にいいのか、これで?
いや、まあ、この田んぼはあくまでも神社の所有地であって、世話を頼まれただけの神代のものじゃないから、別に構わないのかもしれないけど、素人目の俺からしても『でもなぁ〜』なんだよな。


会所の方では宴席がお開きになったようで、近所の人々が三々五々散っていくのが見えてきた。
「宴会、終わったみたいだな」
「ああ」
「お前は出席しなくてもよかったのかよ?」
「ん? ああ、田んぼの世話があるからな」
神社の田んぼだけでなく、あのあと、神代の持っている田んぼでも田植えを終え、洗浄した田植え機を納屋に収納してから、俺たちは神代の家へ向かっていた。
開けた角を曲がり、まるでひとけのない通りを横切り、ザ・農家というような大きな家の敷地に足を踏み入れたのだが。
「おかえりなさい」「ああ、ただいま」
「おじゃまします」「いらっしゃいませ」
神代の奥さんが出迎えてくれる。
「穂奈美、帰ってるわよ」
「ああ」
「穂奈美、穂奈美、お父さん、帰ってきたわよ」
奥さんの呼ぶ声に家の奥から現れたのは・・・・・・


「もう、梨絵ってなんなのよ。自分ちの神事なのに、いい加減にしてばっかりで」
「まあ、そうプリプリすんな」
神代が穏やかな声でなだめている。
「でも、いくら神主さんの家の子だからって、休憩時間とか偉そうに私に命令してくるのよ。まったく!」
「まあまあ」
「田植えの最中も列もぐちゃぐちゃだったし、みんな頑張ってたのに、ひとりだけ手を抜いてたし。本当、頭にくるわ!」
「まあまあ」
「あの子の植えた列だけ、全部稲が枯れちゃえばいいんだわ。そんで田の神様の罰とかなんとかみんなに言われて・・・・・・」
「穂奈美、そんなこと口にするもんじゃないぞ」
そうなだめる神代の口元にはおだやかな笑みが浮かんでいた。まるでなにかが乗り移ってでもいるかのような静かで強い微笑みが。
俺だけがそれを見ていた。


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2017年05月28日

借り物競争




昼休みも終わり、運動会は午後の部に入っていた。
昼食をとったことでお腹がふくらみ、ポカポカ陽気の午後のグラウンド。競技に出場して頑張っているクラスメイト達には悪いけど、自然とまぶたが重くなり、ウトウトしてくる。
――次は借り物競争です。
どこか頼りなさげなアナウンスも眠気を誘うヒーリングミュージックだった。


――稲本、稲本起きろ!
誰かが誰かを呼んでいるような。でも私には関係がないはず。
「しーちゃん、起きて。山田が呼んでるよ」
突然、肩を揺さぶられて目が覚めた。
隣の席に座っているかおりんが私の肩を揺すっている。
「おはよ。もう運動会終わったの?」
「違うわよ。ほら、山田が呼んでるの」
「山田?」
ぼうっとしながら、男子の席の方を眺めてみるけど、特徴あるひょろひょろとした姿は見えない。代わりに、
「稲本、ちょっと来て」
グラウンドの方から切迫したような声が聞こえてきた。
観客席と競技スペースを区切るロープの向こうで、山田が私を呼んでいた。
「えっ?」
わけが分からず、まごついていたら、山田、ロープをまたいで、私のそばまで来たかと思うと、手をつかんで引っ張る。
「・・・・・・っ!」
男子に手をつかまれるなんて。しかも、そんなに親しいわけでもない男子に・・・・・・
寝ぼけ気味の私はただただ驚いていることしかできなかった。


男子と手をつないで走るのっていつ以来だろう。一生懸命思い出したら小学校の低学年の遠足以来だった。
でも、やっぱり男子の手って、大きいね。
ずっと私の手を包み込むみたいにつかんでいる。しっかり守られている安心する感じ、くせになりそう。
すこしだけギュッと握り返した。
そのまま、山田に引っ張られながら、トラックを横切り、どこだかの目的地を目指す。
けど、男女で手をつないで歩くなんて、当然、みんなの注目の的のはず。ひやかしの言葉の一つや二つ飛んでくるかもしれない。そう覚悟していたのだけど、運動会を盛り上げるにぎやかな曲や各クラスからの声援ぐらいしか、私には聞き取れない。
とてもはずかしかったのだけど、でも、思ったほどには注目されていないようだった。
それも仕方ないか、私も山田も、そんなに学校内で目立つようなタイプではないし、案外そんなものなのかもね。
ちょっと寂しい気分で自分自身に言い聞かせながら歩をすすめていた。
やがて、私たちは並んでゴール地点に立っている係の男子生徒の前まできた。
山田は、学年とクラスを申告し、私の手を握っているのとは反対の手に握りしめていた紙をその係の人に渡した。
その人、私のことを頭のてっぺんからつま先まで眺めまわしたあと、私の胸元をじっと見るわけで・・・・・・
って、ちょっとどこ見てるのよ! ジロジロ見ないで!
思わず、ささやかな胸元を抱くようにして腕で隠したのだけど、
「稲本さん?」
不思議そうな顔で私の名前を呼んだ。どうやら胸元のゼッケンを読んでいただけみたい。ともあれ、すぐに私の隣で山田が口を挟んできた。
「ああ、こいつ稲本しずかって言うんです。下の名前が『し』から始まるんです」
その説明を聞いて、係の人はなぜか納得したみたいだった。
そうして、このクラス対抗の借り物競争、私たちのクラスは四位という結果になった。


「えっと、これって、借り物競争?」
「そう」
「じゃ、じゃあ・・・・・・」
借り物競争。男子が女子をわざわざ呼び出して、一緒に走るってことは、そのお題って、まさか・・・・・・
急激に頬が熱くなるんですけど。すぐ近くの山田の顔を恥ずかしくて直視できないのですけど。
よくあるじゃない。運動会の借り物競争で、そのお題が『好きな異性』とかなんとか。マンガとかアニメとかで。
「ほら、頭に『し』のつく名前ってお題」
私にお題の書かれた用紙を見せてきた。
「そうですか・・・・・・」


ちょっとやるせない気分を味わいつつ、二人してクラスの席へ引き返していく。
「でもさ、『し』が付くんだったら『篠田』くんでも、『柴崎』さんでもよかったんじゃない? とくに篠田くんって友達でしょ?」
「ああ、でも、あいつ、次の四百メートル走に出場するから今いないんだ」
「で、でも・・・・・・」
ちょっと考えて、さっきのお題「頭に『し』のつく名前」だから、別に人間でなくてもよかったんじゃないかって気が付いた。だけど、『し』のつく名前のモノってなにがあったっけ?
考えてみる。グラウンドのすぐそばの簡単に取りに行ける場所にあって、名前に『し』が付いていて・・・・・・
「シャーペン、シャツ、シート・・・・・・」
私が思いつくままにあげると、困ったような顔をして首をふる。
まあ、たしかにそんなの運動会中にはちょっと調達が微妙に難しいかも。
二人していろいろ考えている間にクラスの場所までもどってきた。


「ね、ね、さっきの借り物競争ってお題なんだったの?」
戻ってきた私たちにかおりんが目を輝かせて迫ってきた。
「やっぱり、あれって好きな・・・・・・」
機先を制するように山田がかおりんの目の前にさっきのお題の用紙を突き出す。
「なんだ、頭に『し』のつく名前かぁ」
同じように興味津々で瞳を輝かせているクラスメイト達に聞こえるような大声を出してくれた。
うん、ちょうどいいわ。説明する手間が省けたわね。
大体、私、山田のことなんて、これっぽっちも何とも思ってないんだから。私が憧れているのは隣のクラスのテニス部の伊藤くんなんだから。
たぶん、山田だって私のことなんか・・・・・・ 私のことなんか・・・・・・ 本当に、本当に、私のことなんか、なんとも思ってないわよね?
ちょっと首をひねって見せたら、相手も同じように首をひねっていた。
うん、このマヌケ面、今の私とちょうど同じ事を考えていたって顔だわ。
そのことまでも、山田の方も同じように感じとっていたみたいで、二人して苦笑を交わしていたら、かおりんが身を乗り出すようにして訊ねてくるのだった。
「でさ、なんで二人、さっきからずっと手つないだままなの?」


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