2012年04月15日

ミクさんマジ天使! 〜現代アイドルについての私的考察〜



社会が発展するということは、人々の所得が向上し、インフラやコミュニケーションツールの発達などなどによって、人々の興味・嗜好が多様化・分散化していくことを意味している。
その意味では、現代日本というのは、人々の価値観が拡散し、多様化してしまった世界だと考えられる。

そこで、アイドルという存在を考えてみよう!
アイドルといえば、歌を歌って、ダンスして、愛嬌をふりまく存在。視たり、聴いたりするだけで幸せに感じる。
でも、じゃ、アイドルとは本当にそれだけの存在かといえば・・・・・・
現代日本においては、歌を歌わなかったり、ダンスなんてしなかったり、愛嬌もある方じゃないなんていうのにアイドルと称される人もいたりするわけで。たとえば、スポーツ選手だったりとか、アナウンサーだったりとか、グラドルや子役もある種、それに近い人たち。
じゃ、現代日本において、アイドルとはナニ? どう定義されるのだろうか?

私論を述べれば、アイドルというのは、コンセプトそのものを売る人たちなんじゃないだろうか?
魅力的な少年少女を集めて、人々に受け入れられる、人々が惹きつけられるコンセプトを与えて、それを身につけさせ、様々な媒体のメディアを通じて、多様な形式・形状で売りつける。そんな存在のように思う。
つまり、アイドルにとって、重要なのはコンセプトそのものであって、アイドルとしての歌唱力やダンスセンスなどはそれほど重要ではないのかもしれない。
だからこそ、歌を歌わないアイドルや、ダンスの下手なアイドル、無愛想なアイドルなんてものが存在しうるのではないだろうか?

だけど、現代日本というのは、冒頭でも述べたとおり、価値観が多様化し、拡散した社会だといえる。
アイドルはコンセプトそのものを商品にする存在だとすると、そのコンセプトを購入し、消費する日本人は多様であり、その需要の度合いは様々になる。つまり、ある人にとっては、与えられたコンセプトが非常に魅力的に思われても、別の人にとっては、拒絶対象になってしまうなんてことに。
そうすると、現代日本においては、だれもが魅力的だと思う、惹きつけられるコンセプトなんて、ほとんどありえないものだということになり、万人が支持する国民的アイドルなんて存在が難しいってことになる。
実際、わが国において、そういう国民的アイドルと称させるにふさわしいアイドルは、ほとんどいないわけで・・・・・・
しいて、あげるとすれば、フィギアスケートの浅田真央選手だとか、メジャーリーガーのイチロー選手ぐらい? もっとも、彼らをアイドルと呼ぶとするならだけど。
芸能界では、一人もいないし、おそらく、これからもそういう国民的アイドルが登場することはないのだろう。
もし、登場することがあるとすれば、社会が衰退して、価値観の多様さが決定的に失われたときかもしれない。

万人受けする国民的アイドルが存在し難いとすると、現代のアイドルたちはどのようなコンセプトを売りにして存在しているかというと、特定の興味をもつ人たちを狙い撃ちにした細分化されたコンセプトを提示している。
つまり、最初から日本人全体を狙うのではなく、そのごく一部のみを対象にアピールしている。
その結果、多様化した価値観に対応して、様々な形のアイドルたちが現代日本に存在するのだ。
たとえば、『会いにいけるアイドル』を掲げるAKB48だとか、格好イイ男の子たちのジャニーズ系だとか。グラドル、バラドル、ローカルアイドルなんてのも多様化の中でこそ存在しうるアイドルたちだろう。
そこで、次からは、興味のおもむくままに、コンセプトをテーマにして、いくつかのアイドルたちを論じてみよう!

まず、取り上げるのは、AKB48。
いまや、押しも押されぬ日本のトップアイドル集団。専用劇場を持ち、『会いにいけるアイドル』をコンセプトに、人々に近い場所で活躍するアイドルグループなんだとか。
会いにいけるアイドル。まあ、たしかにそうなんだろうけど・・・・・・
でも、むしろそれは看板だけで、本当のコンセプトは別にあるように思う。
AKB48といえば、AKB商法といわれる独特な手法で売り上げを伸ばしている。
『総選挙』と呼ばれる方法でグループ内序列化過程を明示化し、その投票権をCD等に付加して販売することで、応援するメンバーの序列を引き上げるために、ファンがグッズを買いあさるなんていう現象を生み出している。
これはグループ内の競争の可視化とういう手法。
その眼に見える競争の中で、メンバーとファンが一体となって、総選挙中に一喜一憂する。
それは、まるで・・・・・・ 『ゲーム』。
そう、AKB48の真のコンセプトは、アイドルのゲーム化なんじゃないだろうか?
AKB48というゲーム世界の中で、メンバーは切磋琢磨し、序列をあげようと必死に努力する。ファンたちは、そういうメンバーたちを応援し、グッズを買って支援する。そして、その結果、序列があがれば、ファンたちは満足しつつも次はもっともっと高い序列へ、下がれば、次回こそはリベンジと、どっちにしろ、メンバーへの応援にのめりこんでいってしまう。
うん、よく考えられた手法ではある。
でも、そんなゲームに関心のない人たちにすれば、ファンたちがなぜ、そこまでのめりこんでしまうのか分からないってことになるし、メンバーがAKB48のゲーム世界から外へ飛び出すと、そこは依然として不可視の競争世界なのだから、たちまち見える競争の中でのみ磨いてきたゲーム内での魅力が剥げ落ちてしまうってことになるのだろう。
結果、AKB48のファンたちは、一般人からは、異様な人々に見られるし、メンバーがグループから離れて活動しても、なかなか成功しないってことになる。

次は、K−POPアイドル。
K−POPアイドルといえば、歌唱力があって、ダンスがうまい韓国系のアイドルたち。
でも、アイドルにおいては、コンセプトが重要であって、歌唱力やダンスセンスは、必ずしも必須ではないことは、先に書いたとおり。
とすると、彼ら、彼女らのコンセプトはなにかと考えると、これは明らかに『韓流』。これだけは、絶対に、日本人アイドルたちにはマネのできないコンセプト。
だけど、最近、過剰なまでの数のK−POPアイドルたちが日本に進出してきて、かなり飽和気味になってきている。つまり、韓流というコンセプトの陳腐化が急速に進んでいることに。
今、K−POPアイドルは、コンセプト価値の低下が激しいと思うのだけど、どうなんだろうか?
いまでこそ絶好調に見えるのだけど、先行き大丈夫なんだろうか? 正直、心配になってしまう。
でも、当の韓国の人たちは、日本のアイドルたちよりも、自分たちの方が歌唱力があって、ダンスがうまいなんて、自信をもっているみたいだけど。
んん・・・・・・?

いま、日本で人気が急激に高まっているのが、アニメソング(アニソン)。そして、それらを歌うのが、声優さん。いまや、声優さんもアイドル化している。
声優アイドルのコンセプトとは、担当するアニメのキャラ。
でも、担当するアニメのキャラは、シーズンごとにどんどん変わるし、キャラに応じて声色も変えていくことになる。その意味では、コンセプトの変動がとても激しい存在。
また、声優さんの場合には、歌唱力やダンスなど、あまり高度なものは期待されない。
『韓流』という不動のコンセプトをもち、歌やダンスがうまいK−POPアイドルたちと、どんどん変わっていくコンセプトのもとで、高度な歌やダンスが求められたりしない声優アイドルたち。
非常に対照的な存在。
コンセプトの変動が激しいということは、人々の関心を繋ぎとめておくことが難しいって意味になる。
そのあたりが、いまひとつ声優アイドルたちがメジャーになりきれない原因なのだろう。
その意味で、声優さんが最近、どんどん顔出しし、アニメキャラというコンセプトから離れて、水樹奈々さんや平野綾さんのように声優さん個人として画面に登場するようになってきたのは、必然なのかもしれない。そうすることで、それぞれの声優さん個人のコンセプトの確立が可能になっていくわけである。
ただ、その場合には、声優さん個人としての新しいコンセプトを提示する必要があるのだけど、まだ、そこまでうまく行っている人は現れていないようだ。

と、今、日本で活躍しているいくつかのアイドルたちをコンセプトをテーマに見てきたわけだけど。これらのアイドルに共通しているのは、商業としてのアイドル。
アイドルたちが活躍して、CDやDVD、グッズ類などを販売したり、コンサートを開いたりして、儲けをえるのが目的になっている。そのため、彼ら、彼女らが提示するコンセプトは、常に、いかに人々にお金を使わせるかというテーマがつきまとうことにことになる。いわば、商業主義で歪んだアイドルコンセプトしか提示することはできない。商売から離れ、自由に心のおもむくままにコンセプトを提示するってことが不可能である。
その結果、そのコンセプトを受け取る人たち、消費する人たちに満足を与えることはできても、心からの感動を伝えるということにはなりにくい側面を持つ。
そこらあたりがアイドルという存在があまり高く評価されない原因なのではないだろうか?

で、ボーカロイドである。
初音ミクで代表されるボーカロイドたちは、3D化され、国内外でコンサートを開くとすぐにチケットが完売するのだとか。今、大人気のバーチャルアイドルである。
もちろん、3D化だとか、トヨタ、グーグルなどのCMへの機用などは、商業化そのものだけど。それは、本質から離れたとても表象的な周辺問題。
バーチャルアイドルの本質は、だれもがボーカロイドに楽曲を歌わすことができ、その曲に合わせた動画を生み出せ、そして、好きなようにそれらを鑑賞し、楽しむことができる点。
つまり、このアイドルたちは、商業的なコンセプトを予め与えられて、多額の資金を用いて宣伝し、人々に提供される今までのアイドルたちとはまったく違う形態なのである。
このアイドルにコンセプトを与えるのは、企業ではなく人々の方であるし、それを受け取るのも人々の方。しかも、与えられるコンセプトは、一つきりではなく、与える人それぞれが別々のコンセプトを与えことができるというとてもユニークなアイドル。
その結果、そのコンセプトには、商業主義の匂いは限りなくうすい。
そう、まったく新しい形のアイドル像が今、生まれだしたといえる。
ただ、人々が別々のコンセプトを与えることができるということは、コンセプトの多様化が可能だということだし、細分化し、多様化した価値観のそれぞれに対応することも可能であるということでもある。
となると、もし、社会がさらにもっともっと進歩し、バーチャルという言葉に内包される胡散臭さが解消され、人々が普通のこととして受け入れるようになったならば、もしかすると、万人受けする存在になりうるのでは?
もしかして、初音ミクって、未来の国民的アイドルだったりして・・・・・・?

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posted by くまのすけ at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする