2017年04月16日

その木には




あの子をちゃんと見たのは、去年の今頃が初めてだった。
小学校のころから、何度も同じクラスになり、おそらく何度も隣同士の席になったはずだ。だが、そんなこと全然覚えていなかった。僕にとっては、あの子はずっとただの同級生の一人でしかなかった。
なのに、その認識が変わったのは、公園の奥のひとけのないこの桜の木の下でだった。


あの日、僕は公園の中をジョギングしていた。
コーチの都合で部活が休みになり、エネルギーを持て余していた僕は、思い立って近所の大きな公園の中を一人でジョギングすることにしたのだ。
ぐるぐると何周もその広い公園の中を走り周り、いろいろにコースを変え、走る速さに緩急をつけ、とにかく走りに走った。そして、気が付いた時には、その場所に出ていたのだ。
公園の奥、だれも近寄らない林の中にポツンと桜の木が一本だけ生えている。満開を過ぎ、散り始めた桜は、見ている間にもはらりはらりとその花びらを舞い散らす。
その桜の下、落ちてくる花びらに意識を集中させ、空中でつかみ取ろうと一人の少女が踊るような仕草で腕を伸ばしていた。
くるりくるり。ただ無心に、真剣な顔でそのピンク色の花びらに手をかざす。でも、桜の花びらは寸でのところで少女の白い指の先を逃げ、地面へ落ちていく。
それでもあの子は目を輝かせていた。自然な笑みが顔中に広がり、楽しげに笑声を漏らしてさえいる。
僕は走るのを止め、その場に立ち尽くしていた。その姿に釘付けになっていた。その子を初めてしっかりと目に入れた。綺麗だと思った。


ふと風が吹いて、いくつかの花びらが宙へ舞い上がる。それにつられて二つの視線がさまよい、お互いにぶつかった。
「あっ」
大きく見開かれた眼が僕に向けられた。すぐに笑みがこぼれた。乱れた髪を耳に掻き上げながら、小首を傾げた。
「恥ずかしいところ、見られちゃった」
小さく舌を出して、首を竦める。頭上に広がる満開の桜を通して降り注ぐピンク色の光が柔らかく彼女を包み込んでいた。
僕は声が出なかった。ただ無言でその光景に見とれていた。
やがて、彼女は困ったような表情を浮かべた。
「なに? なにか用なの?」
何度かツバを飲み込んで、僕はようやく言葉を口にした。
「その木、毛虫がいるから、ときどき落ちてくるよ」
絶対に、もっと他に言うべきことがあった。こんな言葉なんかじゃなくて、もっと僕の本心に近い言葉を。でも、口を突いて出たのはこんな言葉だった。そして、言った直後から後悔していた。
あの子は急に頬をひきつらせると、慌てて木の根元に立てかけていたカバンへ走り寄って抱え、逃げるように走り去っていった。
途中で振りむくと、舌を出して眼を剥いた。
僕は揺れるボブの髪が木々の間に見えなくなるまでその後ろ姿を見送っていた。


今年もこの桜が満開になり、散り始めている。
枝の下の空っぽの空間にいくつもの花びらを舞い散らせ、すこしずつすこしずつ、地面をピンク色に染めていく。
あの子が踊るように跳ねていた地面をちょっとずつ隠していく。
去年、僕が初めてあの子を見つけた後、夏休み中にあの子は親の転勤に従ってカナダへ引っ越していった。
僕は結局、あの子になにも告げることはできなかった。
それから、あの子を忘れるように別の子と付き合い、何度もデートをした。でも、たぶん、僕の気持ちは彼女には最初から見抜かれていたんだと思う。
それでも、二人の距離は徐々に縮まり、二人の関係が僕の中でゆっくりと積み重なっていった。時間をかけて、しっくりと感じられるように変化していった。


僕はあの桜の木の下に立ち、頭の上に舞い落ちてくる花びらに不器用に手を伸ばす。指先がかすかに花びらに触れた。でも、つかめない。
何度も挑戦するが、結局、一度も中で花びらをつかむことはできなかった。
「ねぇ、知ってる? ここの桜って毛虫がいるんだよ」
すこし離れたところで長い髪を風にそよがせていた彼女は僕に笑いかけてきた。
「ああ、知ってる」
花びらを追うのをやめた僕は、手のひらを上に向けて掬うように伸ばす。そちらに視線もやらずに、振り返って、彼女に微笑む。
――もし、この中に花びらが留まっていたら。
軽く手を閉じて体の前へ、顔の前で小指から開いていく。指の間から、かすかにピンク色の影が見えた。
「あのさ、オレ・・・・・・」


チクチクとしたものを心の中で感じながら、告げる。


チクチクとした感触を手のひらに感じながら。


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posted by くまのすけ at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 短編・ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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