2017年04月09日

三年寝将棋




私の叔父は、子供のころから将棋界では神童とうたわれた人物だった。長じてからも、その才能は衆に抜きんでており、高校生でプロになり、十代でいくつものタイトルで挑戦者の資格を得たのだった。今でも、祖父母の家の応接間には、叔父が獲得した賞状やらトロフィーやらがところ狭しと飾られている。
だが、それも三年前までだった。
ちょうど今と同じ桜が満開のころだった。ある日、なにかの企画で将棋ソフトと対戦することになり、こてんぱんにやられてしまった。ショックを受けたのか、叔父は自分の部屋に閉じこもってしまい、外へ出なくなった。祖父母でさえも家で叔父の顔を目にすることはほとんどなくなった。
そんな叔父の部屋をこっそり入口からのぞいてみると、大抵、万年布団に寝転がって分厚い本を読んでいるか、ノートパソコンのモニターにむかってブツブツつぶやいている姿が見られるだけだった。
叔父は引きこもりになったのだ。


最初のころ、祖父母や仲間のプロ棋士さんたちが頻繁に訪ねてきては、叔父が将棋界へ戻ってくるようにあの手この手を尽くして説得しようとしていたが、それらはことごとく叔父の沈黙によって跳ね返された。
叔父の姉にあたる私の母や父も協力して、力づくで外へ連れ出そうともしてみたようだけど、結局ダメだった。
とうとう誰もが匙を投げだし、そうして、三年の月日が経った。
そして、その日が来た。


たまたま、その日、私は祖父母の家へ遊びに来ていた。
庭に咲いている桜が満開になったので、それをスケッチしに来たのだ。
もちろん、本当についでにだけど、祖母が毎年この時期に手作りする桜餅をいただいたりできることを期待したりとか、しなかったりなんてことは、絶対にないわけで。うん。絶対に。
縁側に座って、スケッチブックを開いて鉛筆で桜の木を描いていく。近所で飼われているトラ猫が横切り、ひばりがチチチと飛びぬけていく。のどかな光景だ。
心地よい柔らかい風に吹かれながら、快調に鉛筆を動かす。時に手を止め、腕を伸ばして鉛筆で長さを計ったり。
――バタン。
背後でドアが開いた。いよいよ待ちに待った桜餅が・・・・・・
期待で目をきらめかせながら振り返ったら、そこに立っていたのは、ヨレヨレの部屋着でむさくるしい姿の叔父だった。
「よぉっ」
ヒゲもじゃの顔を上機嫌そうに綻ばせて、私に挨拶してくる。いつもむっつり黙っているだけの人なのに。
「こ、こんにちは」
「おう」
そのまま、背後を通り抜けて、廊下の方へ歩いて行った。
廊下の方からは祖母が驚きの声を上げているのが聞こえてくる。
――まぁ! まぁ! まぁ!
そうして、叔父は風呂場の方へ消えていった。


風呂場で髭をそり、こざっぱりとした叔父は、キチンとした格好に着替えた。それから自室へもどり、大量の本を抱えて出てきた。そのどれもがチェスの本。
「えっ? 棋士辞めちゃうの?」
私が驚いていると、
「ん? いいや、辞めない」
「で、でも・・・・・・」
今、叔父がうれしそうに目を通しているのはやっぱりチェスの本で。
「この三年間将棋ソフトに完敗してから考え続けた。どうやったらあのソフトに勝てるのかってな」
「・・・・・・」
「で、ひらめいたわけだ。非ユークリッド幾何学って知ってるか?」
「えっ?」
なんか話に脈絡がないような。将棋の話をしていたはずなのに、なんで幾何学?
「紀元前三世紀のエジプト人でユークリッドっていう人がだれが考えても正しいと思われる五つ公準を出発点に幾何学のすべての定理・命題は矛盾なく説明されうるんだということを証明しようとした」
「う、うん・・・・・・」
「でも、十九世紀に入って、その出発点になった公準の一つが別のものであっても、矛盾のない幾何学が組み立てうるんだってことを証明してしまったわけだ。それを非ユークリッド幾何学という」
ちょっと目が回るようなことをいう叔父だ。私の理解が追いつかない。
「ま、要するに、俺たちが知っているルールで成り立つ世界の他にも、全然別のルールでも成り立つ世界が存在しうるんだよってな話だな」
「は、はぁ〜?」
まだ、納得していない顔を私がしていたのか、
「ほら、この桜餅。クレープみたいな焼いた生地であんこを包んであるだろ?」
「うん」
「でも、これが関西風のものだったら、同じ桜餅って名前であっても、全然別物になる。浅くついたモチ米であんこを包み込ん形のな」
そうして、叔父は手につまんだ桜餅を自分の口に放り込んだ。
それ、私のだったのだけどな・・・・・・
「で、この三年間、考えたわけだ。俺たちは将棋のルールの中で指し手を考えてきた。定跡を編み出し、奇手・妙手をひねり出してきた。でも、この世の中には様々なゲームであふれている。なら、俺たちの将棋の世界の他にも別のルールの中で定跡や奇手・妙手を生み出してきた奴らがいるに違いない。当然、ルールが違うのだから、そいつらの手は全然俺たちのものとは考え方から違うかもしれない。でも、やっぱりキチンと一つの体系の中でまとまっているものだろう。そして、もしかすれば、それらの中には俺たち将棋のルールにも応用できる手があるかもしれない。そこから、俺たちが今まで知らなかった新しいなにかが生まれるかもしれない。俺はそう結論づけたわけだ。この三年間考え続けた結果として」
熱っぽくそう語るわけだけど、正直、難しくて、よく分からない。ただ、要するに、チェスを研究することで将棋にも新しい風が吹き込むかもしれないって叔父は言っているのだろう。
「将棋ソフトだって、俺たちと同じ将棋のルールの中で成長しているわけだ。当然、俺たちと同じように将棋のルールにがんじがらめにとらわれているわけだし、俺が編み出したチェスの妙手を応用した手には対応できるはずないだろう? やつらにすれば、全然、別のルールの世界からやって来た奇想天外な手なんだしさ」
「・・・・・・そ、そうかも」
「な、そう思うだろ」
そうして、満足そうに新しい桜餅を頬張るのだった。私の桜餅を・・・・・・


叔父の快進撃が始まった。
将棋界に復帰した叔父は、連戦連勝だった。またたくまにいくつものタイトルをとり、クラスを駆け上がった。
叔父の編み出したチェス将棋は、他のどの棋士にとっても初めて見るものだったし、そして、その一手一手のどれもが彼らには優劣の判断さえつけられないものだった。理解不能だった。
叔父は将棋界を席巻する風雲児だった。
そうして、また桜が満開の季節がやってきた。
あのときからさらに進化した将棋ソフトと叔父は対戦した。それでも、叔父は自信満々で絶対に勝てると豪語してさえいた。
だけど、結果は・・・・・・大敗だった。
まったくいいところもなく敗れ去った。惨敗だった。
「なぜだ? なぜだ?」
幾晩もの自問の末に、何かに気が付いたみたいだ。
「そうか、あいつらの元々の出発点はチェスの名人を倒すことだ。そもそもチェスの手には慣れているんだ。なんてことだ。し、しまったぁ!」


気づいてはいけないことに気が付いて、しょげていたのは一晩だけのことだったようだ。
翌朝にはケロリとした顔していたし。
そうして、叔父は今、麻雀牌に埋もれて生活している。
「次こそは絶対に勝ってみせる! そら、ツモだ!」


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posted by くまのすけ at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 短編・ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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