2012年05月20日



この学校の校舎は、独特な形をしている。
中央の噴水のある中庭を囲むようにして、四方に校舎が建てられ、それぞれに渡り廊下で接続されている。上から見ると『回』の字の形だ。だから、雨の日かなにかでグラウンドをランニングできないときには、狭い体育館ではなく、校舎の中をグルグル回る方が、はるかに運動になるのだった。
今日も外は雨。
放課後の廊下、気をつけていないと、サッカー部やら陸上部やらが全速力で突っ込んでくる。
おっと危ない。
汗臭いサッカー部の今野が俺の脇をすり抜けていった。
どこかの体育会系女子が、人をよけきれずに、俺の胸に突っ込んできてしまうなら大歓迎だが、あんな汗臭い野郎だなんて、ゾッとするぜ、まったく!
「西岡、ぼうっと突っ立ってんな! あぶねぇだろ!」
「こんな狭い廊下を走り回ってるお前らの方が、もっと危ないだろうが!」
だが、俺の抗議の声は、廊下の向こうへ走り去っていった背中には、もう届いてなんかはいない。
ったく! 今野の野郎!
まあ、しばらく、この場所で突っ立っていれば、ぐるっと回って、いずれまた今野がここへもどってくるのだけどな。さすがに、そこまでして抗議するほどヒマじゃないし、俺って。
俺は、カバンを担ぎなおして、玄関へ向かった。

玄関で自分の下駄箱の前に立ち、靴を取り出して、足元に落とす。
つまさきでおさえながら、足の動きだけでごそごそと上履きを脱ぎ、足元で横向きになって転がっている靴を軽く蹴って上向きに起こして、足を通す。それから、しゃがんで脱いだばかりの上履きを掴んで、自分の下駄箱へ。
「よ、いまから帰り?」
ポンと軽く背中を叩かれた。荻野。今野がいるサッカー部の女子マネ。今、帰りらしい。
「ああ、そっちもか。でも早いな、今日は部活は?」
「え? あ、うん、今日は休み」
ウソだ! 眼が泳いでいる。
「ん? そうだっけ? 今野、さっきから廊下走ってたぞ?」
「え、あ、う、うん・・・・・・」
「ああ、そうか、ズルか」
「ち、違うわよ! そんなんじゃ!」
「じゃ、なんだよ?」
「ちょ、ちょっとね・・・・・・」
荻野は、なにか言いにくそうにして黙り込んだ。しばらく待っていたけど、話そうともしないので、結局肩をすくめるぐらいしか俺にできることはない。

玄関の外へ出、カバンの底に入れておいた折りたたみを取り出す。
ふと横を見ると、荻野が空を見上げて立っていた。手にはカバン以外なにも持っていない。
「おい、傘は?」
「朝出るときは晴れていたから・・・・・・」
「天気予報で午後から雨降るって言っていたぞ?」
「そうなんだ。今朝はギリギリでテレビ見てなかったから」
俺は、ため息をつく。それから手に持った折りたたみを荻野の手の中に押し付ける。
「貸してやるよ」
「え、いいよ。しばらくここで、雨上がるの待つから」
「天気予報だと、夕方から本降りになるらしいぞ」
「えー」
「ほら、使え!」
俺は、むりやり折りたたみを押し付けた。
「でも、西岡が濡れちゃうよ」
「あ、心配いらない。教室の俺の置き傘使うから」
安心させるようにニッコリと笑ってみせる。
「・・・・・・」
荻野は、しばらく手の中の折りたたみと、俺の顔を見比べていたけど、結局、俺の好意に甘えると決めたようだ。
「じゃ、借りるね」
「あいよ。じゃな」
「ありがと」
「おお」
俺は、その場できびすを返して、自分の下駄箱までもどった。荻野は、そんな俺の背をしばらく見送っていたみたいだが、結局は、受け取った折りたたみを差し、雨の風景の中へ踏み出していった。

教室にもどる。
ドアのところで、声をかけられた。
「あれ、西岡、帰ったんじゃなかったっけ?」
今野だった。足踏みしながら、俺の背後で止まっている。
「ああ、ちょっとな。それより、さっき荻野見かけたけど、なにかあったのか?」
俺の一言で、途端に今野の眼が泳いだ。それから、何かを決心したかのように、俺の眼をジッと見つめてくる。
「ん? なんだよ?」
「俺、昼、荻野にコクった・・・・・・」
「・・・・・・」
おどろいた。今野の気持ちには常日頃から薄々勘付いてはいたのだが、まさか告白するなんて。
「そっか」
「ああ、しばらく考えさせてほしいって」
「ああ」
それから強い視線で俺を突き刺すように睨む。『俺はきちんと気持ちを伝えた。お前はどうするんだ?』とでも訊ねるかのように。いや、ちがうか、今野は俺に逃げるのか、戦うのか、どっちだと訊いているのだ。あのときのように。俺は、俺は・・・・・・

今野は去っていった。校舎の中をもう一周しに。
俺は教室の中へ入っていく。自分の席にカバンを放り出し、椅子にどかりと腰を下ろす。
窓から見える雨脚はさっきよりも強くなっているようだ。
教室の後ろを眺めた。カラの傘立てがヒマそうにしている。
すこし考える。俺には、考えるべきこと、考えなきゃいけないこと、答えを出さなきゃいけないことが山のようにある。でも、多すぎて、なにも答えなんて出ない。
目を閉じて、机に突っ伏した。
今野の俺を突き刺す眼、ムッとする汗の匂い、濡れたグラウンドを叩く雨の音。
様々なものが、俺の頭の中を駆け巡り、走り回り、駆け抜けていく。でも、それらは、どこへも行かなくて、行けなくて、結局は、ぐるっと回ってまた俺の元へ戻ってくる。
俺はどうすれば・・・・・・
一瞬、荻野が俺の顔と折りたたみを見比べていたときの表情が浮かんで、消えた。
どこか覚悟を決めたような、達観しているような、多分、寂しくて、悲しいけれど、あきらめようとしている眼。
試合で大怪我をして、もうサッカーができなくなって、退部届を提出したあのときの俺。
――ガタンッ
椅子が倒れた。
いつの間にか立ち上がっていた。
雨脚がさらに強くなって、窓を激しく打ち始める。
そして、俺は・・・・・・

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2012年05月13日

ザ・バンブービューティ



俺の幼馴染みで、許婚の千登勢が久しぶりに我が家を訪れた。
「久しぶり、元気にしてた?」
千登勢を一目眼にした途端、息を飲んだ。なにも言えない。二匹の子犬のように田畑を駆け回り、一緒に泥まみれになってふざけあっていたあの千登勢が、たった半年ほどで、こんなに綺麗な女になったのだ!
「なに、何か言ったらどうなの?」
千登勢は、ぷっと頬を膨らませる。子供のときから、不満があるといつもする仕草だ。そして、俺は、そんな千登勢の姿を眼にするたびに、たまらなくいとしいと感じていた。
「変わらないな」
「え?」
「あ、い、いや・・・・・・」
「どう、私、綺麗でしょ? 惚れ直した?」
くるりと俺の前で回ってみせる。爽やかで甘い匂いが千登勢の体から漂ってきた。匂い袋の香り。奉公に出る前には、まったくそんなものを身につけたりなんかしなかったのに・・・・・・

千登勢が奉公に出たのは半年前だった。
隣町の金持ちの家。行儀見習いを兼ねての奉公だった。
千登勢が仕えているのは、その家の娘だった。都でも噂になるほど大層綺麗な人だそうだ。なんといっても隣町のことだ。そんな綺麗な人が昔からいたのなら、俺たちが子供の頃から知っていてもいいはずだが、まったく耳にした記憶はない。どういうことだろうか?
もっとも、その噂にはさらに奇妙な話もついていた。
ある日、その金持ちの家の庭にある竹の一節が光り始め、奇妙に思った家の主が触れると、その光る節が外れ、中から清らかな女の赤児が生まれたという。その女児を天からの授かりものと信じた主が自分の子供として育てると、たった3ヶ月ほどで美しい女に成長したという。不思議なこともあるものだ。もっとも、噂は噂にすぎない。その噂もどこまで本当のことなのか・・・・・・
千登勢は、その美人に仕える始めると、どんどん綺麗になっていった。
なにかの用事のついでに、我が家へ顔をだす度に見違えるような変身を見せ、美しい娘に変わっていったのだった。
「私のご主人ね。とても気難しい人なの。私がグズグズしていると、すぐに叱られちゃうし、他の人と無駄なおしゃべりをして、お仕事をサボっていると、すぐに叩かれたりしちゃうの」
どうやら、すごく厳しい主人のようだ。
「だから、私以外の奉公人たちは、みんな一ヶ月も持たずに、すぐに嫌になって逃げ出していったわ」
「ん? なら千登勢はなんでずっと仕えているんだ?」
「だって、ご主人って、人を美しく見せる方法はよく知っているのだけど、本当に自分ひとりじゃなにもできない人なんですもの。自分で服を着ることもできないなんて、信じられる?」
「・・・・・・いや」
「誰かが、常にあの人についていてあげなくちゃ。ね、そうでしょ?」
「あ、ああ・・・・・・」
だからといって、千登勢がその誰かであるべきとはちっとも思わないのだが。でも、千登勢は、すっかり今の主人に夢中なようだ。まあ、千登勢がそれでいいなら、別に構わないのだが。

千登勢は、それからもどんどん綺麗になり、千登勢の主人の噂もどんどん広がっていった。
都の貴族も庶民もみんな一目、千登勢の主人を目にしたいと、その竹林に囲まれた屋敷の周囲にあつまるようになり、垣根の隙間から中をのぞきこもうと一生懸命になった。
でも、千登勢の主人は、家の奥まった部屋にこもったきりで、ほとんど姿を現さない。
さすがに、実物も見る機会がないのに、噂ばかり先行している状況では、男たちも真相を疑うようになる。
しだいに、千登勢の主人の屋敷に集まる男たちの姿は減っていき、ついには都の5人の有力貴族や貴公子たちだけになった。
ある日、千登勢の主人は、その5人の貴族たちを集めて、噂でしか耳にしたことがないこの世に一つしかない宝物をとってくるように依頼した。もし、その宝物を手に入れる者がいれば、その人の元へ嫁ぎましょうとまで約束した。
5人の貴族たちは、御簾ごしに見えるその美人の影を見つめ、確信した。この人は、噂どおり。いや、噂以上の美人だと。宝物を手に入れられれば、そんな美人を我が物にできる。彼らは大いに奮い立った。
ある貴族は、偽物を用意し、宝物だと偽って千登勢の主人に渡した。もちろん、そんなものは、すぐに見破られてしまう。目論見がはずれたその貴族は逆上し、力づくで千登勢の主人に言うことをきかせようとしたが、逆に、屋敷内の女たちに取り押さえられ、屋敷からほうほうの体で追い返されてしまったという。なぜか、力が体から抜けて、動けなくなってしまったらしい。
ある貴公子は、怪しげな商人から、多額の金銭と引きかえに宝物を買い取ったが、それは偽物だった。また、ある皇子は自ら四方を旅し、宝物を探したがみつからず、病を得、また、ある者は、高いところから転落して、大怪我を負った。
結局、5人の有力貴族の誰一人として、千登勢の主人が依頼した宝物を手に入れることのできた者はいなかった。

5人の有力貴族・貴公子たちが絶世の美女に入れ込んだ末に、手玉に取られただけで、なにも得ることができなかったという噂は、帝の耳にまで届いた。
帝は、よく知っているそれら貴族たちを見事に手玉に取ったその美女を一度見てみたいと思った。だから、手紙をやって宮中に呼び寄せようとした。でも、その女は帝の命すら拒んで屋敷を出ようとはしない。
ある日、帝は狩りに出かけた。
その帰り道、急に予定を変えて、都への帰り道をそれた。その女の屋敷へ向かったのだ。
突然の帝の来訪に、屋敷の者たちは慌てふためいた。屋敷の者たちが混乱している間に、帝はやすやすと屋敷の奥へ踏み込み、その女、千登勢の主人と対面したのだった。
噂どおり、いや、噂以上で、言葉では到底言い表せないほどうつくしい。帝の知っているどの女よりも美しい女がそこにいた。
輝くような肌。優美な曲線を描く眉。すっと通った鼻筋。小ぶりながらみずみずしく光る口。やわらかくなめらかな頬。すべての光を飲み込むような真っ黒で長い髪。そして、黒い宝石を埋め込んだように輝く瞳。見たこともない絶世の美女がそこにいた。宮中にいるどの妃妾もくらべものにならなかった。
たちまち、帝は恋に落ちた。帝は、その女を宮中につれかえりたいと思った。
無理やり腕をとって、引きずるようにして、屋敷から連れ出そうとした。
だが、どうしたことか、女が屋敷中に焚きこんでいる香の匂いをかいだ途端、帝の手は力を失い、その女はたやすくその手から逃げ出していく。
帝はなんどもなんども連れ出そうとしたが、結局は同じことの繰り返しだった。
とうとう、帝は連れ帰ることをあきらめるしかなかった。

それから、半年が過ぎた。
ある日、突然、都から使いが来て、俺たち村の若い衆を徴発していった。なんでも、どこかのお屋敷の警護に狩りだされたようだ。
どこの屋敷だろうか? その屋敷を襲おうとしているのは、なにものだろうか?
目的の屋敷につくと、すでに都から派遣されてきた兵士たちが警護についている。
屋敷の周りだけでなく、屋根の上にも、弓矢を構えた兵たちがいるようだ。とても厳重で、ものものしい警護だった。
俺たちは、屋敷の中に入れてもらえず、庭の隅で矛を持たされて、待機させられていた。
やがて、日が暮れる。大きな満月が東の空から昇っていく。それを眺めていると、昼からなにも食べていないので、腹が鳴りはじめた
俺ともう一人の男は、村からついてきたまとめ役の男に命じられて、屋敷へ予め用意されているはずの晩飯をとりにいかされた。だから、俺たちは庭を回りこみ、屋敷の横手から台所へ入った。
すでに、俺たちの分の晩飯は用意されており、持っていくだけの状態になっていた。
早速、もっていこうと思ったのだが、間の悪いことに強烈な尿意を感じた。
俺は、そこらにいた下女に厠の場所を教えてもらい、持ち場へ戻る前に用を足しておくことにした。
だが、この屋敷は広かった。似たような暗い廊下がいくつもあり、厠からの帰り、たちまち迷子になってしまった。
しばらく、適当に歩いていると、明るい広間に出た。かいだことがない香の匂いがたち込めている。甘くまろやかな匂い。そして、どうしてか全身から力が抜けていくような感覚がある。
広間の奥では御簾が垂らされており、その前で老女が端然とした姿勢で座っている。
俺はおそるおそるその老女に声をかけた。
「す、すいません。台所へもどりたいのですが、案内してもらえませんか?」
俺の声にその老女が振り返る。御簾の中で、誰かが小さく『あっ!』と叫んだような気がした。
その老女は、若い頃は相当な美人だったのだろうなと感じさせる気品漂う風情だった。
が、
「これ、下賤の者、無礼である。どこへなりと立ち去れい!」
怒鳴られながら、平手打ちをくらってしまった。
ここは貴族の屋敷というわけでもないし、周囲を竹林に囲まれた田舎のちょっとした金持ちの屋敷。御簾の前に控えているということは、御簾の中の人は、この屋敷の主の身内かもしれないが、老女自身は、ただの使用人。そんな使用人が、俺のことを下賤呼ばわりできるほど、高貴な出であるはずなんてない。ったく、無礼なのはどっちだ! 何様のつもりだ!
俺は、ぷりぷりしながら、適当に廊下を歩いていたら、なんとか台所へ戻ることができたのだった。

俺たちは、屋敷の台所から人数分の晩飯の包みを抱えて、持ち場に戻り、それを食べた。
しばらくして、猛烈な眠気が襲ってきた。天地がグルグルと回り始める。
近くの仲間が何人か倒れたのが見える。だが、俺たちはそいつらを助けに駆けつけることはできない。俺自身も倒れる寸前の状態なのだから。
そして、俺は気を失った。
後で聞いた話では、満月が空の真上に来た時、月の裏から、天人たちの一団が舞い降りてきて、俺たち屋敷の警護の者たちに不思議な術を施したらしい。
その術を受けた俺たちは、たちまち意識を失い、朝になって陽が昇ってくるまで、兵士たちも俺たちも全員が眠りこけていたそうな。
その間に、この屋敷に住まう絶世の美女(おそらく、あの老女が守る御簾の影にいた人のことだろう)は天人たちに連れ去られ、月の世界へと帰っていったという。

その日を境に、千登勢の主人の噂はパタリと聞かれなくなった。
それからほどなく帝は病気になり、やがて崩御なされた。千登勢の主人が月へ帰っていったのが、よほど堪えたらしい。なんでも、千登勢の主人がこの世界から去る前に、帝宛に贈り物が送られていたというが、千登勢の主人がこの世にいないのでは、そのようなものを持っていても仕方がないとして、東の国の山の上でそれを焼かせてしまったという。噂では、その贈り物は不老不死の薬だったらしいのだが。
改元が行われ、新しい帝が即位した。
千登勢が村に戻ってきたのは、それからさらに半年がたったころだった。ヒマをだされたらしい。
千登勢は、本当に本当にうつくしくなっていた。肌が輝くように白く、着古した服を着ているというのに、垢抜けて見えた。道端ですれ違う男たちは、だれもが必ず足を止めて振り返り、千登勢の姿が見えなくなるまで見送った。
もちろん、千登勢を誘惑しようとする男も絶えず、何人もの都の貴族たち・貴公子たちが自分の妾にしようと、千登勢の親たちに掛け合いにきた。
でも、いくらカネを積まれようが、見栄えのよい男に誘われようが、千登勢は決して首を縦には振らなかった。一途に俺の嫁になることしか考えていないようだった。


ある日、俺の家を訪ねてきた千登勢が不思議な話をはじめた。
「あの方は、もともと美しい人だったのだけど、それだけでなく、どうすれば自分をもっと見目麗しく見せられるかということをよく理解しておられたお方だったわ」
肌や髪の手入れの方法、化粧の仕方、着こなしのうまさ、立ち居振る舞いの見事さ、どれもすばらしかった。それだけでなく、媚薬的な効果のある香の製法、人間心理などにも精通していた。
だが、身の回りのこととなるとからきしダメだった。箸の上げ下ろし一つ満足にできず、毎朝、顔を洗うのすら人任せだった。
「あの方は、私のどこが気に入ったのか、いろいろと私にご自分の知っておられることを試されたの。肌や髪の手入れだとか、化粧の工夫だとか、着こなしの妙だとか。礼儀作法にもうるさく注意を受けたわ。そして、男には脱力の副作用があるけど、見るものをこの上なく美しく見せてしまう香を焚かれたりしてね。あ、そうそう、人って神秘的な背景のあるものに接すると、そのものを実物以上に評価するでしょ? だから、ヘンな噂をながしたりもしていたみたい」
俺はただ驚いて、千登勢の口元を見つめ続けることしかできなかった。
「そしたら、その噂、都にも届いちゃったみたいで、都から毎日大勢の公達衆がおこしになられたわ。最初のうちこそ、ご主人とともに適当にあしらっていたのだけど、そしたら、ついに帝までもがおこしになられて。私、ビックリしちゃった」
千登勢は、子供のころのまま、明るくケラケラ笑う。
「でも、帝は私を宮中にお召しになられたいっておっしゃられるけど、私には心に決めた人がいるじゃない? 必死にお断りしつづけていたのだけど・・・・・・」
帝の恋心は断られれば断られるほどに激しく燃え上がった。毎日のように千登勢に会いにこられるようになる。ついには、屋敷にお泊まりになられることをご所望なさるようになった。そうなると、千登勢の身を守り抜くのは難しいし、千登勢自身、帝の寵愛を受け入れる気はさらさらなかった。困り抜いた挙句、屋敷の者たちは一計を案じたらしい。
千登勢は、実は月の国の人であり、次の満月の夜に不思議な力をもつ天人たちが、迎えにくると言い出したのだ。
それを知った帝は、配下の兵士や近隣の若者たちを狩りだして、その満月の日、屋敷を警護するように命じたという。
だが、警護の者たちは、屋敷のものたちが用意した眠り薬を仕込んだ晩飯のせいで全員が眠らされ、そして、千登勢は月の天人たちの手によって、無事に月の国へ連れ去られたのだった。

「じゃ、あのとき、俺たちが警護していた屋敷は・・・・・・」
「ええ、あのとき、御簾の裏で待機していると、あなたが現れて、びっくりしちゃったわ」
「え?」
あのとき、御簾の裏から驚いたような声が聞こえていたが、そのせいか。俺は納得する思いだった。
そういえば、あの時、御簾の前に老女がいた。ずい分無礼で、乱暴だったな。ってことは、まさか?
「そう、あの人があの屋敷のご主人」
「そうだったのか・・・・・・」
「あのあと、真相を全部手紙にしたためて、あのお方の知っている綺麗になる秘法をすべて書き出した書物を添えて帝に献じたのだけど、帝は、それを全部燃やしてしまわれたみたいね」
「らしいな」
なにを考えているのか、千登勢はしばらく黙って開け放った戸口から東の空を眺めた。
それから、千登勢はポツリとつぶやくように言った。
「あのお方は相当な年だったでしょ? あのあと、ご主人は半年ほどで命が尽きられたの。すっかり衰弱して、最後には足腰が立たなくなって、寝たきりになってしまわれたけど、でも、最後までとても美しい人だったわ」
そうして、千登勢はぽろぽろと大粒の涙をこぼした。上品に、美しく、清らかに。

千登勢は帰っていった。
今でも千登勢は、亡くなった主人の教えを守り、肌や髪の手入れ、化粧の仕方、着こなし、立ち居振る舞い、焚き込める香の調合、すべてを実行しているらしい。
そのせいか、顔かたちは、前から知っているのと変わらないが、対面すると俺が気おされるほど美しい。千登勢といるだけで、俺は劣等感に苛まれる。
こんな垢抜けない惨めな俺が千登勢を妻に迎えていいのだろうか? もっと、帝すら袖にする千登勢にふさわしい男がいるのではないだろうか?
いや、でも、俺は千登勢のことが子供の頃から好きだった。千登勢を他に男に取られたくなんかない!
なら、どうすれば・・・・・・
答えはひとつしかない! 俺自身の男を磨かねば! 男を磨いて、千登勢と並んでも見劣りのしない立派な人間にならなくちゃいけない!
だから、俺は願うのだった。どこかに俺を従者として雇ってくれる月の男はいないものだろうかと。

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2012年05月06日

ご馳走様



ゴールデンウィークもあけて最初の家庭科の授業は調理実習。
ご飯を炊いて、好みの具材のお味噌汁ともう一皿。地元の食材を料理する。
ボクたちの班は、地元の野菜の炒め物と地元の店で手作りされている豆腐のお味噌汁。
イメージとしては、どちらもすごく簡単に思えるのだけど、ボクは料理なんてしたことない。他のみんなはどうなのだろうか? 調理実習、無事に終われるのだろうか?

ボクたちは、危ない手つきで食材を切り刻んでいく。
カツン! カツン!
派手な音を立てて、まな板に包丁がぶつかる。でも、音が大きいわりに全然切れていない野菜たちは、その包丁から逃げ回り、跳ね回り、辺りに飛び散る。
「痛てっ!」
跳ねたにんじんが隣の森嶋の頭に当たった。
「あっ、わりぃ」
「って、気をつけろよな! あぶねぇだろ!」
「ごめん! でも、全然、切れないよな、コレ」
「ああ」
森嶋の方も苦戦しているようだ。
「ほら、あんたら、野菜をこうやって手で押さえてないから、どっかへ飛んでいっちゃうんだよ。これだから男子は」
「ああ? でも、そんなことしたら、手、切っちゃうだろ!」
「切るか、バカ!」
「はぁ、なんだよ、それ!」
「なによ!」
また、女子の西本と森嶋が言い合いをはじめた。
結局、小野崎さんが仲裁に入って、言い合うのを止める。いつもの通りというかなんというか。
「「フンッ!」」
お互いにそっぽを向いて。

コン、コン、コン・・・・・・
ボクたちの班で順調に野菜を切り刻んでいるのは、男子の中でもひときわ小柄な中野っちと女子の中では一番大柄な平川さん。
「へぇ〜 中野っち、うまいじゃない」
「え? あ、でも、平川さんの方が、もっと上手だよ。それに、すごく丁寧だし」
「えへ。そう」
平川さんが褒められてちょっと嬉しそうにしている。
「ああ、そうそう、どこかの不器用なバカ女よりも、すんげぇ上手」
「え? ふふふ」
森嶋の一言に、途端に反応する西本。
「って、バカ女って、だれのことよ!」
「え? さあ、だれかな。かわいそうで、真実を口になんてできないよ。俺には」
「はぁ〜? なに、アンタ、私に喧嘩売ってんの?」
「いえいえ、別にそのようなことは。ええ、俺は心の広い男だから、料理もできない可哀相な女に喧嘩を売るなんて、滅相もない!」
「なによ! 私だって、料理ぐらい!」
そして、森嶋の挑発にのった西本がイモを切ろうとしたら、押さえる手が不十分だったみたいで、みごとにシンクの方へ跳ねていった。
「おお、おイモさんも可哀そうに」
「くっ、覚えてらっしゃい!」

「小野崎さん、みんな大体、野菜は切り終えたみたいだよ」
「え? あ、はい。じゃ、フライパンを温めます。油とってください」
ボクが油を手渡すと、慣れた手つきでフライパンに油をしく。そして、みんなで切り刻んで、バットに並べた野菜たちを順番に投入していく。
いつも大人しくて、控えめな小野崎さんなのに、大きなフライパンを振る手つき、大胆で豪快。手早くて、すごい!
思わず、横で小さく拍手してしまった。
「え?」
「あ、いや、なんか、すごく様になっているから。まるで、どこかの料理人さんみたい」
途端に、小野崎さん、耳まで真っ赤になる。
「いつもお母さんのお手伝いをしているから」
「でも、すごいよ。ボクには、絶対にできないよ」
「そ、そう・・・・・・?」
そして、小野崎さんの指示にしたがって、ボクが調味料をどんどん投入していって、野菜炒めは完成した。
「わぁ、すごくおいしそう」
ひとりずつ皿に小分けして盛り付けた後、小野崎さんは空になったフライパンをシンクに持っていく。
「って、こら! 勝手につまみ食いしてんじゃねぇよ!」
「ええ、別にいいじゃない! おいしそうなんだもん!」
「でも、だめだろ、つまみ食いなんか」
「えぇ〜 ほら、森嶋も、食べてみな、ほい、あーん・・・・・・」
西本が皿から白菜をつまんで、森嶋の口元へ」
「って、な、なにするんだよ!」
なんてテレながら文句をいいつつも口にする。途端に、沈黙。
「どう? おいしいでしょ?」
森嶋は、うんうんうなずくだけだった。
「へへ、これで、森嶋も私と同罪だね。つまみ食いの!」
「そ、それが狙いだったか!」
「えへへへ」
でもいいな、この二人。しょっちゅう喧嘩しながらでも、結構仲がいい。なにげなくシンクの方を見たら、洗剤をつけたスポンジで一生懸命フライパンを洗っている彼女の姿が目に入った。

お味噌汁の方は、中野っちと平川さんが担当していた。
煮干からダシをとり、味噌をといて、ワカメやネギ、手のひらの上で切った豆腐なんかを鍋に入れていく。
見ていると、結構手際がいい。訊くと、ふたりともいつも家事を手伝っているのだとか。
「ふたりとも偉いね」
「え? そう、コレぐらい普通だよ」
「そう、これぐらいできるのが、普通でしょ?」
って、そ、そうだったのか・・・・・・
ともあれ、最初にみんなで砥いで(洗って)炊飯器にセットしたご飯も炊き上がった様子。
ボクたちは、それぞれを食器に盛り付けて、テーブルに並べた。

「「「「「「いただきまーす!」」」」」」
待望の食事タイム。おいしそうに立ち上る湯気と香りが空腹なボクたちの食欲をそそる。
まずは、ご飯を一口。
うん、美味しい。地元のおコメの味だ。でも、ちょっと水が多かったのか、いつも家で食べているのよりもやわらかいかな。
「ご飯、おいしいね」
「え? そう? ちょっとやわらかくない?」
「ううん。ちょうどいいよ。僕の家、いつもこんな感じだし」
「あ、もしかして、中野っち、おじいちゃんかおばあちゃんと同居?」
「え? うん、そうだよ。おばあちゃんが一緒に住んでるんだ」
「そうなんだ。うちはおじいちゃんと一緒だから、いつもこれぐらいの柔らかさだけど、他の人はどうか心配だったんだ。よかった」
平川さんが、うれしそうに微笑んだ。って、なにが良かったのだろう?
お味噌汁もいい味。ほっとする。
でも、いつも飲むのとは、味噌汁の色も味もちょっと違うような。
「あれ、これ、赤味噌? 赤だし?」
「え? うん、そうだよ。よく分かったね、西本さん」
「うん、うちも好きでよく作るから」
「へぇ〜 だれか、名古屋の人が家族にいるの?」
「そう、お母さんが名古屋出身」
「そうなんだ」
「ってことは、中野くんも、だれか名古屋人?」
「うん、僕、小学校2年生まで名古屋に住んでいたんだ」
「へぇ〜 そうなんだぁ」
そうして、名古屋に縁のある二人はズズズと味噌汁をすするのだった。
というか、名古屋の人って、赤味噌の味噌汁飲むんだ。初めて知った。

野菜炒めにみんなの箸が伸びる。
パリポリ・・・・・・
「お、おいしぃ〜!」
「あ、ほんと、すごくおいしいよ、これ」
「でしょ、でしょ!」
「さっき、お前、つまみ食いして感動してたもんな」
「って、あんたもでしょ!」
「へへへ」
でも、確かにおいしい、この野菜炒め。今まで食べた中でも最高の野菜炒めかも。
「おいしいね。小野崎さん、すごい!」
「え、そんなことないよ。普通だよ」
「そんなことあるよ。すごくおいしいよ、この炒め物」
中野っちが、マジ顔で大きくうなずいている。
途端に、小野崎さんの隣に座っていた、平川さんが、小野崎さんの手をとる。
「私のところへお嫁においで」
それに対抗して、西本も、
「だめよ。おーちゃんは、私のところへお嫁に来るんだから!」
小野崎さん、とてもうれしそう。とても、とても幸せそうだった。
二人の女の子が、料理上手の女の子を挟んで嫁に来いとジョークを言い合う図。とても微笑ましくて、たのしい雰囲気。
でも、嫁に来いとジョークを言い合うだけじゃオチがない。ただただ、だらけてしまうだけ。
ここは、誰かがピシッと決めなくちゃね。そして、気がついたときには、それをボクが言っていた。
「だめだよ、二人とも。小野崎さんは、ボクのところへお嫁に来るんだから!」
決まった! すばらしいオチだ! うん、ボクって天才!
会心の笑顔で、テーブルをぐるりと見回す。
中野っちも、平川さんも、西本も、ポカンとした顔をしてボクを見ていた。みんな顔が引きつっている。
ってことは、爆笑寸前? いいんだよ、笑って。ボクは面白いことを言ったのだから。
もう一度、テーブルを見回すと、小野崎さんが、耳まで赤くなって、こうつぶやくのが見えた。
「ウン・・・・・・」
途端に、みんなの顔が崩れた。ボクが期待したような、爆笑の方向へではなく、にやけ顔の方向へ。
「ふふふ、石野くん、ご馳走さま」
「おーちゃん、ご馳走様」
にやけ顔のまま、平川さんと西本が微笑んでいる。
えーと、えーと? なんで、みんな笑わないんだ?
頭の中が疑問でいっぱいのボクの隣で、さっきから料理にがっついていた森嶋がすかさず言うのだった。
「えっ? もういいのか、お前ら? もったいないから、俺がそれ食ってやるよ」
その声に、みんな爆笑した。
な、なんでだぁ〜!

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posted by くまのすけ at 17:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 短編・ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする