2017年04月23日

ささやかに距離が縮まる




予報外れの急な雨の午後、祖父が住んでいる寺の庫裏を出ると、開け放った山門の陰に人の姿が見えた。
僕の学校の制服姿の女子。肩を落とすようにして空を仰いでじっと佇んでいる。雨宿りしているのだろうか?
同級生だろうか? それとも全然知らない別のクラス、学年の人? 後姿だけじゃ判断できない。
ともあれ、用事が終わって僕は自分の家へ帰らなきゃいけないから、どうしても、その女子のそばを通り抜けることになる。そのときにでもこっそり顔を確かめればいいか。
そんな風に思いながら、傘を差し、参道を歩いて行った。


雨に濡れた石畳はつややかに光を反射し、湿った空気が鼻腔をいっぱいにする。
境内に植えられた木蓮のいくつもの長い花びらから上品な香りが僕にまとわりつく。
一歩一歩山門に近づいていく間に、だれだろうという好奇心が僕の中に広がっていくのを感じていた。
そうして、僕は山門にたどり着いた。
傘を打つ雨音に気が付いたのか、その女子が振り返った。
「・・・・・・」
知っている顔だった。この春からの同じクラスの子だ。でも、まだ学校では話したことはない。だから、なんて声をかければいいのか迷った。それは相手も同じみたいだ。
しばらく、見つめ合うようにして向かい合い、それから、言葉を探してみた。
結局、この場にふさわしい言葉は思い浮かばなかった。だから、黙ったまま会釈した。
「・・・・・・」
山門をくぐり、参道の先を進む。振り返る。その子はまだ山門で立ち止まったまま、無表情に無数の雨粒の軌跡を描く灰色の空を見上げている。もちろん、手には傘を持っていないようだ。
僕が振り返ったことにも気が付いていないみたい。ただ、顔を天に向けている。雨が降り止むことを願うように。


やや湿り気を含んだ髪がさらりと揺れた。僕がまた戻っていったからだ。
すこしだけ大きく見開いた眼で僕を見つめてくる。
僕は傘を閉じ、無言でそれをその子に差し出した。
しばらく僕の手の中の傘を見つめ、それから僕に向かって首を振った。それでも、僕はその子の手に傘を押し付け、強引に柄を握らせる。そして、再び庫裏に向かって駆けていった。
後ろを振り返ることもなく、石畳の上を。


庫裏に飛び込むと、玄関のところに祖父が立っていた。
笑みを浮かべ、禿頭の頭をなでている。たぶん、一部始終を見ていたのだろう。それでも、なにも言わない。
「なに?」
「・・・・・・(にやり)」
気が付くと、静かな所作で僕に自分の傘を差し出していた。
さっき僕がそうしたように、祖父もまた僕に柄を強引に握らせた。ただし、その上で僕の手を軽くたたいた。
僕は気にしないフリをして外へ出た。


さっきの子は僕が山門まで引き返してもずっとそこにいた。
僕が新しい傘をさして、戻ってきたのを何か尋ねたそうな表情を浮かべて眺めている。
「この寺、じいちゃんの寺だから」
いいわけするようにつぶやいた僕の隣で、彼女は小さく『ああ、それでか』と返していた。
そのまま、僕は山門を通り抜け、再び参道に歩を進めた。その数歩後ろを彼女が僕の傘をさして歩いてきていた。
結局、短い参道の先、交差点で左右に別れるまで、そのままなにも話さずに歩いた。



次の日の朝、教室で彼女は僕に傘を返してくれた。
ちいさく消え入りそうな声の『ありがとう』それだけを短く添えて。
傘はしっかり乾かされていて、丁寧にたたまれていた。
何人かの友人たちが僕たちのそんなやりとりを見ていたが、だれもなにも言わなかった。
ただ、にこやかに僕のことを見守っているだけだった。
その日、何度か彼女と視線がぶつかった。でも、それだけだった。前日までと変わらず、僕たちはほとんどなにも言葉を交わさなかった。なにも変わらなかった。
ただ一つだけ変化があったのは、帰りに教室をでるとき、ドアのそばの彼女の席から『さよなら』って声が聞こえたことぐらいだろうか。
まるで僕に掛けたつもりじゃないみたいなささやきにも似た声。
僕は傘の柄を握る手に力を込めて、そして、力を抜いた。
「じゃあ、また、明日」
口の中で不鮮明につぶやいて、僕は廊下へ出る。その耳が、かすかな『うん』という返事をとらえた気がした。


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2017年04月16日

その木には




あの子をちゃんと見たのは、去年の今頃が初めてだった。
小学校のころから、何度も同じクラスになり、おそらく何度も隣同士の席になったはずだ。だが、そんなこと全然覚えていなかった。僕にとっては、あの子はずっとただの同級生の一人でしかなかった。
なのに、その認識が変わったのは、公園の奥のひとけのないこの桜の木の下でだった。


あの日、僕は公園の中をジョギングしていた。
コーチの都合で部活が休みになり、エネルギーを持て余していた僕は、思い立って近所の大きな公園の中を一人でジョギングすることにしたのだ。
ぐるぐると何周もその広い公園の中を走り周り、いろいろにコースを変え、走る速さに緩急をつけ、とにかく走りに走った。そして、気が付いた時には、その場所に出ていたのだ。
公園の奥、だれも近寄らない林の中にポツンと桜の木が一本だけ生えている。満開を過ぎ、散り始めた桜は、見ている間にもはらりはらりとその花びらを舞い散らす。
その桜の下、落ちてくる花びらに意識を集中させ、空中でつかみ取ろうと一人の少女が踊るような仕草で腕を伸ばしていた。
くるりくるり。ただ無心に、真剣な顔でそのピンク色の花びらに手をかざす。でも、桜の花びらは寸でのところで少女の白い指の先を逃げ、地面へ落ちていく。
それでもあの子は目を輝かせていた。自然な笑みが顔中に広がり、楽しげに笑声を漏らしてさえいる。
僕は走るのを止め、その場に立ち尽くしていた。その姿に釘付けになっていた。その子を初めてしっかりと目に入れた。綺麗だと思った。


ふと風が吹いて、いくつかの花びらが宙へ舞い上がる。それにつられて二つの視線がさまよい、お互いにぶつかった。
「あっ」
大きく見開かれた眼が僕に向けられた。すぐに笑みがこぼれた。乱れた髪を耳に掻き上げながら、小首を傾げた。
「恥ずかしいところ、見られちゃった」
小さく舌を出して、首を竦める。頭上に広がる満開の桜を通して降り注ぐピンク色の光が柔らかく彼女を包み込んでいた。
僕は声が出なかった。ただ無言でその光景に見とれていた。
やがて、彼女は困ったような表情を浮かべた。
「なに? なにか用なの?」
何度かツバを飲み込んで、僕はようやく言葉を口にした。
「その木、毛虫がいるから、ときどき落ちてくるよ」
絶対に、もっと他に言うべきことがあった。こんな言葉なんかじゃなくて、もっと僕の本心に近い言葉を。でも、口を突いて出たのはこんな言葉だった。そして、言った直後から後悔していた。
あの子は急に頬をひきつらせると、慌てて木の根元に立てかけていたカバンへ走り寄って抱え、逃げるように走り去っていった。
途中で振りむくと、舌を出して眼を剥いた。
僕は揺れるボブの髪が木々の間に見えなくなるまでその後ろ姿を見送っていた。


今年もこの桜が満開になり、散り始めている。
枝の下の空っぽの空間にいくつもの花びらを舞い散らせ、すこしずつすこしずつ、地面をピンク色に染めていく。
あの子が踊るように跳ねていた地面をちょっとずつ隠していく。
去年、僕が初めてあの子を見つけた後、夏休み中にあの子は親の転勤に従ってカナダへ引っ越していった。
僕は結局、あの子になにも告げることはできなかった。
それから、あの子を忘れるように別の子と付き合い、何度もデートをした。でも、たぶん、僕の気持ちは彼女には最初から見抜かれていたんだと思う。
それでも、二人の距離は徐々に縮まり、二人の関係が僕の中でゆっくりと積み重なっていった。時間をかけて、しっくりと感じられるように変化していった。


僕はあの桜の木の下に立ち、頭の上に舞い落ちてくる花びらに不器用に手を伸ばす。指先がかすかに花びらに触れた。でも、つかめない。
何度も挑戦するが、結局、一度も中で花びらをつかむことはできなかった。
「ねぇ、知ってる? ここの桜って毛虫がいるんだよ」
すこし離れたところで長い髪を風にそよがせていた彼女は僕に笑いかけてきた。
「ああ、知ってる」
花びらを追うのをやめた僕は、手のひらを上に向けて掬うように伸ばす。そちらに視線もやらずに、振り返って、彼女に微笑む。
――もし、この中に花びらが留まっていたら。
軽く手を閉じて体の前へ、顔の前で小指から開いていく。指の間から、かすかにピンク色の影が見えた。
「あのさ、オレ・・・・・・」


チクチクとしたものを心の中で感じながら、告げる。


チクチクとした感触を手のひらに感じながら。


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2017年04月09日

三年寝将棋




私の叔父は、子供のころから将棋界では神童とうたわれた人物だった。長じてからも、その才能は衆に抜きんでており、高校生でプロになり、十代でいくつものタイトルで挑戦者の資格を得たのだった。今でも、祖父母の家の応接間には、叔父が獲得した賞状やらトロフィーやらがところ狭しと飾られている。
だが、それも三年前までだった。
ちょうど今と同じ桜が満開のころだった。ある日、なにかの企画で将棋ソフトと対戦することになり、こてんぱんにやられてしまった。ショックを受けたのか、叔父は自分の部屋に閉じこもってしまい、外へ出なくなった。祖父母でさえも家で叔父の顔を目にすることはほとんどなくなった。
そんな叔父の部屋をこっそり入口からのぞいてみると、大抵、万年布団に寝転がって分厚い本を読んでいるか、ノートパソコンのモニターにむかってブツブツつぶやいている姿が見られるだけだった。
叔父は引きこもりになったのだ。


最初のころ、祖父母や仲間のプロ棋士さんたちが頻繁に訪ねてきては、叔父が将棋界へ戻ってくるようにあの手この手を尽くして説得しようとしていたが、それらはことごとく叔父の沈黙によって跳ね返された。
叔父の姉にあたる私の母や父も協力して、力づくで外へ連れ出そうともしてみたようだけど、結局ダメだった。
とうとう誰もが匙を投げだし、そうして、三年の月日が経った。
そして、その日が来た。


たまたま、その日、私は祖父母の家へ遊びに来ていた。
庭に咲いている桜が満開になったので、それをスケッチしに来たのだ。
もちろん、本当についでにだけど、祖母が毎年この時期に手作りする桜餅をいただいたりできることを期待したりとか、しなかったりなんてことは、絶対にないわけで。うん。絶対に。
縁側に座って、スケッチブックを開いて鉛筆で桜の木を描いていく。近所で飼われているトラ猫が横切り、ひばりがチチチと飛びぬけていく。のどかな光景だ。
心地よい柔らかい風に吹かれながら、快調に鉛筆を動かす。時に手を止め、腕を伸ばして鉛筆で長さを計ったり。
――バタン。
背後でドアが開いた。いよいよ待ちに待った桜餅が・・・・・・
期待で目をきらめかせながら振り返ったら、そこに立っていたのは、ヨレヨレの部屋着でむさくるしい姿の叔父だった。
「よぉっ」
ヒゲもじゃの顔を上機嫌そうに綻ばせて、私に挨拶してくる。いつもむっつり黙っているだけの人なのに。
「こ、こんにちは」
「おう」
そのまま、背後を通り抜けて、廊下の方へ歩いて行った。
廊下の方からは祖母が驚きの声を上げているのが聞こえてくる。
――まぁ! まぁ! まぁ!
そうして、叔父は風呂場の方へ消えていった。


風呂場で髭をそり、こざっぱりとした叔父は、キチンとした格好に着替えた。それから自室へもどり、大量の本を抱えて出てきた。そのどれもがチェスの本。
「えっ? 棋士辞めちゃうの?」
私が驚いていると、
「ん? いいや、辞めない」
「で、でも・・・・・・」
今、叔父がうれしそうに目を通しているのはやっぱりチェスの本で。
「この三年間将棋ソフトに完敗してから考え続けた。どうやったらあのソフトに勝てるのかってな」
「・・・・・・」
「で、ひらめいたわけだ。非ユークリッド幾何学って知ってるか?」
「えっ?」
なんか話に脈絡がないような。将棋の話をしていたはずなのに、なんで幾何学?
「紀元前三世紀のエジプト人でユークリッドっていう人がだれが考えても正しいと思われる五つ公準を出発点に幾何学のすべての定理・命題は矛盾なく説明されうるんだということを証明しようとした」
「う、うん・・・・・・」
「でも、十九世紀に入って、その出発点になった公準の一つが別のものであっても、矛盾のない幾何学が組み立てうるんだってことを証明してしまったわけだ。それを非ユークリッド幾何学という」
ちょっと目が回るようなことをいう叔父だ。私の理解が追いつかない。
「ま、要するに、俺たちが知っているルールで成り立つ世界の他にも、全然別のルールでも成り立つ世界が存在しうるんだよってな話だな」
「は、はぁ〜?」
まだ、納得していない顔を私がしていたのか、
「ほら、この桜餅。クレープみたいな焼いた生地であんこを包んであるだろ?」
「うん」
「でも、これが関西風のものだったら、同じ桜餅って名前であっても、全然別物になる。浅くついたモチ米であんこを包み込ん形のな」
そうして、叔父は手につまんだ桜餅を自分の口に放り込んだ。
それ、私のだったのだけどな・・・・・・
「で、この三年間、考えたわけだ。俺たちは将棋のルールの中で指し手を考えてきた。定跡を編み出し、奇手・妙手をひねり出してきた。でも、この世の中には様々なゲームであふれている。なら、俺たちの将棋の世界の他にも別のルールの中で定跡や奇手・妙手を生み出してきた奴らがいるに違いない。当然、ルールが違うのだから、そいつらの手は全然俺たちのものとは考え方から違うかもしれない。でも、やっぱりキチンと一つの体系の中でまとまっているものだろう。そして、もしかすれば、それらの中には俺たち将棋のルールにも応用できる手があるかもしれない。そこから、俺たちが今まで知らなかった新しいなにかが生まれるかもしれない。俺はそう結論づけたわけだ。この三年間考え続けた結果として」
熱っぽくそう語るわけだけど、正直、難しくて、よく分からない。ただ、要するに、チェスを研究することで将棋にも新しい風が吹き込むかもしれないって叔父は言っているのだろう。
「将棋ソフトだって、俺たちと同じ将棋のルールの中で成長しているわけだ。当然、俺たちと同じように将棋のルールにがんじがらめにとらわれているわけだし、俺が編み出したチェスの妙手を応用した手には対応できるはずないだろう? やつらにすれば、全然、別のルールの世界からやって来た奇想天外な手なんだしさ」
「・・・・・・そ、そうかも」
「な、そう思うだろ」
そうして、満足そうに新しい桜餅を頬張るのだった。私の桜餅を・・・・・・


叔父の快進撃が始まった。
将棋界に復帰した叔父は、連戦連勝だった。またたくまにいくつものタイトルをとり、クラスを駆け上がった。
叔父の編み出したチェス将棋は、他のどの棋士にとっても初めて見るものだったし、そして、その一手一手のどれもが彼らには優劣の判断さえつけられないものだった。理解不能だった。
叔父は将棋界を席巻する風雲児だった。
そうして、また桜が満開の季節がやってきた。
あのときからさらに進化した将棋ソフトと叔父は対戦した。それでも、叔父は自信満々で絶対に勝てると豪語してさえいた。
だけど、結果は・・・・・・大敗だった。
まったくいいところもなく敗れ去った。惨敗だった。
「なぜだ? なぜだ?」
幾晩もの自問の末に、何かに気が付いたみたいだ。
「そうか、あいつらの元々の出発点はチェスの名人を倒すことだ。そもそもチェスの手には慣れているんだ。なんてことだ。し、しまったぁ!」


気づいてはいけないことに気が付いて、しょげていたのは一晩だけのことだったようだ。
翌朝にはケロリとした顔していたし。
そうして、叔父は今、麻雀牌に埋もれて生活している。
「次こそは絶対に勝ってみせる! そら、ツモだ!」


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posted by くまのすけ at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 短編・ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする